昭和37年に創業以来、化粧箱・クラフト箱を中心に南大阪の下町で製造を続けている前田紙器。社長の前田重男さんは15歳のときにわずか300円で広島・因島から大阪へ出ていき、親戚のツテで紹介された大阪の箱屋に丁稚奉公として働き始めると、メキメキと頭角を著し、前田紙器を立ち上げました。戦後まもない頃に箱屋を経営することになった経緯や、立ち上げた際の苦労やエピソードについて前田さんに話を聞きました。
――そもそも箱屋を始めようと思ったきっかけは何だったんですか?
前田 戦後まもない10代の頃、実家は貧乏でした。起業を目指し、中学を卒業してからすぐに100円札を3枚握りしめて広島から大阪へ出てきたのですが、親戚のツテで紹介されたのが牛乳屋と豆腐屋と箱屋で。早起きが苦手な私は、すかさず箱屋を選択。そこから丁稚奉公として箱屋に住み込みで働き始めたんですが、修行時代は厳しく、腐ったメシを食べさせられることも(苦笑)。
――そんなことがあったんですか! 信じられません……。
前田 時代もあったのでしょう。なんせ今から60年も前の話ですから。
――なるほど。ちなみに当時は今と違って、職人さんの世界も厳しかったのではないですか?
前田 そうですね。誰かが丁寧に仕事を教えてくれるなんてことはなく、“仕事は見て盗め”といつも言われていました。そんな中でも起業することは諦めず、がむしゃらに働いた結果、丁稚先でいちばんの稼ぎ頭になり、ケーキ屋の得意先を見つけて、クリスマスシーズンはそのケーキ屋一社で月に80万の売上があったことも。ご褒美だったのか、丁稚先の女将さんから革のジャケットをプレゼントされましたよ。
――昭和30年、40年代の話でしょうから当時の80万円を現在の貨幣価値に置き換えるとすごい額になりますもんね。
前田 そのうちに“これなら自分でも何とかやっていけそうだ”と自信を付けていって一念発起し、いよいよ会社を立ち上げようと思いました。
――起業の頃、何か印象的だったエピソードはありますか?
前田 まずは、前田紙工所という名前の有限会社からスタートしまして。箱を作るにはさまざまな機械が必要ですから、すべてを自分で揃えるのは中々難しく……丁稚先で配達をしていた時に、お世話になっていた取引先の方に「必要のなくなった機械は全部置いておいて!」と頼み、会社の備品を少しずつ揃えていきました。もちろん、私の資金で購入したものもたくさんありましたけどね。当時は“何でもいちばん大きいものを!”が私のモットーでしたから、作業場のベルトコンベアも手に入るものの中で、いちばん長いサイズのものを発注して、それが自慢でしたね。あとは、独立後に丁稚先の先輩だった方が「働かせてくれ!」とやってきたことがありました。
――え? 丁稚先の箱屋さんが倒産してしまったとかですか?
前田 いえ、「前田さんの会社のほうが儲かりそうだ」と言っていたのを覚えてます(笑)。倒産と言えば……長年やってますと本当にいろんなことがありましたよ。前日まで配達に行っていたのに、翌日には取引先の店舗がもぬけの殻で、夜逃げされて多額の借金を負ったこともありました。結構大きな取引先でしたから、当時うちの会社以外にも夜逃げされた会社が多数ありまして。私はその債務を取り立てる代表になって、いろんなことを取り仕切ったものです。
――前田紙工所から前田紙器株式会社になったときも苦労されたんじゃないですか? 当時は今ほど株式会社化することは簡単ではなかったと思いますし。
前田 そうですね。まず、先ほど話していた通り、いろんな人に聞いて必要のなくなった中古の機械を集めることから始めましたが、と同時に、工場となる建物をどうするか?という問題もありました。なにせ私はまだ20代半ばですから、先立つ資本も多くは持っていません。そこで取引先に、私が信頼する豪気な社長がいましたものですから、社長のところに行って「工場となる建物を買うから保証人になってほしい!」と頼みました。
――え! 取引先の社長に取引先になってもらったんですか?
前田 そうです、信じられませんよね(笑)。でも、その社長は「前田のそういうところが面白いんだ!」と何の後ろ盾もない私の保証人になってくれたのです。その社長は本当に懇意にしてくださって、取引先の慰安旅行には私も必ず誘って頂き、鳥取砂丘から福井の東尋坊、長野の新穂高から箱根の強羅まで、いろんな場所にご招待いただきました。お風呂に入るときはすかさず、「社長! 背中を流しますよ!」と社長の元へ行ったものです。まさに“昭和”を感じさせる社長で、大好きでしたね。
――その豪気な社長との関係こそ、本当に“昭和”というか、義理と人情を感じるものですね。そして前田さんはその後、前田紙器を法人化して数十年も経営を続けてこられたわけですが、経営のコツはどういうところにあると思われますか?
前田 私は趣味で将棋をしていて、3段の許状を持っていまして……まあ、先ほどの夜逃げ倒産のけんがあってから辞めてしまったのですがね(苦笑)。で、将棋で大切なことは相手の先の先の先を読むということなんです。その点は商売も同じだと思います。取引先にはどんな傾向があるのかを常に注視すると同時に、ご依頼があった商品に関しては納期より早くに納めます。箱が早く手元にあるに越したことはないですからね。相手の一歩先のことを考えて行動するということが大切かなと思います。