京都の人気銭湯『サウナの梅湯』を手掛ける、ゆとなみ社が19年7月に4つ目の銭湯として京都・上京区の北野白梅町にオープンした『源湯』。その中2階にギャラリースペース『さんずい』が存在するのをご存知でしょうか? 中学生の同級生だったという真田氏と太田氏が主宰する本スペースでは、ジャンルを問わず、数多の興味深い展示が随時開催! その謎多きスペースが誕生した経緯について、DIYで改築した際の苦労話も交えて真田さんに話を聞きました。
――まず最初に、銭湯『源湯』の中2階のスペースにギャラリースペース『さんずい』を開くことになった経緯を教えてください。
真田 僕自身、銭湯『源湯』を経営している湊三次郎くん(ゆとなみ社代表)の動きはずっと気になっていて、彼のTwitterなどは以前からフォローしていたんですが、あるとき“源湯のテナントを募集している”というツイートを見て、さんずいのもう一人のメンバーである太田に「こんな面白い物件あるよ」と紹介したのがきっかけでした。ただ、最初から“自分自身がそこで何かをやりたい”という気持ちがあったわけではなくて。
――あ、そうなんですか?
真田 はい。当時、現メンバーの太田とその他数名で中学校の同窓会の実行委員をしていて、テナント募集の記事を見つけたのが同窓会が終わった直後だったのでその勢いのまま(笑)、太田とさんずいの物件を内見しにいきました。源湯には他にもテナントがありますが、最後まで残っていたのがさんずいの部屋で。ただ、改装せずには使えない感じだったので、当初は“とりあえず改装しながら何をするか考えようか”という感じで、ギャラリーみたいな具体的なイメージはありませんでした。
――現スペースはもともと和室だったと思うのですが、そこからフローリングスペースへの改築を自分たちで担当されたんですよね?
真田 仰る通り、最初は畳敷き、プリント合板の壁、アルミサッシという“実家感”満載の部屋でした。2019年12月から改装を開始して、一応の完成を見たのが2020年7月だったので全部で7カ月くらいかかりましたかね。まさにコロナ禍真っ只中で、緊急事態宣言が続発する中での改装でした。毎週末、さんずいのことをやってましたね。
――自分たちで改築しようと思われたのは、どうしてだったんですか? また初期費用って全部でどれくらいかかったんでしょうか?
真田 最初はできるだけ初期投資を少なくして最低限の改装でやろうとは話していたんですが、私のDIY欲が強いので、ちょっと壁を剥がしてみたり、ちょっと天井を剥がしてみたりしているうちに、 後戻りできなくなってしまいました。かかった費用は全部で15万くらいでしょうか。業者には頼まず、なんとか自分達でやりました。改装中は“誤差の範囲”というワードが連発しました。
――ひと部屋全部のリフォームとなると、その細かい誤差によって支障が出てきそうですが、そのあたりはどうだったんですか?
真田 まさに誤差も1つや2つであればいいですが、積もりに積もると“誤差”の範囲は超えてきます。そういう意味では、床の水平を取るのと、天井を張り替えるのは本当に地獄でした。源湯は1928年創業で建物自体が完全に歪んでいるので、さんずいの広くないスペースでも端と端で15cmくらい傾いていたんですよ。その傾きを水平にするための根太の調整が大変でしたね。天井についても、もともとの天井をいったん全て剥がして、よせばいいのに、合板を四角く切って「目透かし張り」をしました。全部サイズが違うので、気が遠くなる作業でした。また、ずっと上を見ているので首がやられました。ドラえもんの道具『逆重力ベルト』がほしくてたまりませんでした。
――ハハハ(笑)。7カ月もの改築期間を経て、スペースが正式にオープンしたのが2020年10月とのことですが、その時の率直な感想を教えてもらえますか?
真田 若干、燃え尽き症候群的なものになった感じもありましたが、まずやりたいことがはっきりと先にあって改装を始めたわけではなかったので、ようやく「箱」ができたという感じでした。でも、自分達が汗水流して作ったスペースに、人が集まるであろうことを想像するとワクワクしましたね。
――ぶっちゃけ、改築途中で心が折れる瞬間などはなかったんですか? 完成に至るまで何が原動力になっていたのでしょうか?
真田 メンバーの1人が久しぶりに改装現場に手伝いに来てくれた際、久しぶりということもあって床板を剥がす工程を見ていなかったからか、なんと床板を剥がした下の板……つまり、1階の天井(!)に普通に乗ってしまって、片足が天井を突き破って源湯1階のくつろぎスぺースに飛び出したらしいです。普通わかりそうなものだけどなと思いつつ、幸い『源湯』の営業前だったのでよかったなと。あと、改装中に間違って電線を切断してしまい、『源湯』の一部を停電させてしまったこともありました(苦笑)。改装中も家賃は発生していたので、早くオープンしたい気持ちはやまやまでしたが、いいスペースを作りたいという気持ちは原動力になっていましたね。あと、原動力と言っていいのかわかりませんが、ある意味コロナのせいで他に何もすることがなく、没頭することが許されたということはあるかもしれません。
――ズバリ、さんずいの名前の由来を教えてください!
真田 『源湯』の漢字にはそのまま「氵」(さんずいへん)が2つも入っていますが、やはりお湯や水とは切り離せないし、源湯の隣に流れる“紙屋川”が由来ですかね。小さい頃からずっと見てきた地元の川なので、この川を見るととても落ち着きます。あとはスタートメンバーが3人だったということもありますね(現在は真田さん、太田さんの二人がメンバー)。
――では、ギャラリースペースのコンセプトはどのようなものなんですか?
真田 コンセプトみたいなものははっきりとはありませんが、風呂上がりにタオルを首に巻いてもみられるような“ハードルの低さ”がいつもあるといいなとは思います。いわゆる“ホワイトキューブ”みたいなギャラリーではないので、この“場所の面白さ”を活かした展示やイべントを行う、ということでしょうか。
――さんずいではこれまで古物商である岩橋氏の『無名な絵』から始まり、辻井タカヒロ氏の『書をステディ町へレディゴー 原画展』や、山道具ブランド・MINIMALIGHTの個展に、骨董の展示やお悩み相談に寄席まで、さまざまな催しをされていますが、展示を決定するにあたって、どのような基準で選ばれていますか?
真田 当たり前ですが、“銭湯の上にあるスペース”ということは意識せざるを得ませんし、“あの場所でこれが見られたら面白い”と自分たちが思えるかどうか、という点でしょうか。また、さんずいの場所を面白いと思っていただける方に展示をやってもらえたらと思っています。 今までの展示やイべントはこちらからお声かけさせていただいた方がほとんどですが、これからはまた新しい形で展示やイべントを募っていこうかなとも考えているところです。また、私と太田でも興味が異なっているので、共同で企画する時もありますが、それぞれが独自に企画する場合もありますね。
――これまでの中で印象に残っている展示を教えてください。
真田 私個人が印象に残っているのは、イラストレーター・辻井タカヒロさんの『書をステディ町へレディゴー 原画展』ですかね。なんと緊急事態宣言とモロ被りしてしまい、会期も延長することになった企画でした。ロック漫筆家・安田謙一さんと辻井さんによる雑誌連載記事を原画とともに展示したものだったのですが、安田謙一さんをして「圧巻というか、前代未聞というか。何を観てるのかよくわからない気持ちになること必至」と言わしめた展示でした(笑)。同時に開催した“特製絵馬”もかなり好評で、その場でお客さんからもらったお題で辻井さんが絵馬にイラストを描くというものなのですが、辻井さんの大ファンの中学生の男の子が絵馬を手にした時の顔を見ていると、こちらも幸せになりました。辻井さんの絵馬はまた開催したいと思っています。
――さんずいを始める前と今では何か変化はありましたか?
真田 やはり自分たちが自由にできる場所ができたこと、そして、さんずいを通してアーティストの方々と知り合いになれたり、銭湯のお客さんと仲良くなれたことですかね。また、私はもともと銭湯が好きなので、『源湯』を“ホーム銭湯”みたいに思えるようになったことも大きいです。銭湯って、人が新しい人やモノに出会ったりするには、めちゃくちゃいい場所なんじゃないかなと思えてきました。あとは、改築工事に必要だったということで、第二種電気工事士の免許を取得できたという変化もありました(笑)。
――なるほど! では最後に、今後さんずいをどのように運営していけたらいいなと考えられていますか? 今後の目標を教えてください!
真田 「元銭湯の建物を改築した施設」というのはよくあると思いますが、現役銭湯の2階でやらせてもらっているので、銭湯自体もずっと存続していけるよう、アートに興味がない人など、いろんな人にその強みを活かした展示ができたらいいなと思います。今後も毎月どんどん展示やイべントを入れていきたいです。