声に賭けて生きる~ラジオDJ 前田彩名さん

大阪にあるラジオ局・FM OSAKAや京都のラジオ局・αステーションなどで活躍中のDJ前田彩名さんの“はじまりの物語”。高校生でラジオの仕事を志すことを決めたという彼女。19歳で専門学校に入学し、DJの職業に面白さを見出してレッスンを続けた後、24歳でDJとしてデビューし、その後15年間続けてきたラジオの仕事に辿り着くまでのストーリーと、続けてこられた原動力について話してもらいました。

――昔からラジオを聞くのがお好きだったんですか?

前田 そうですね。小学校の高学年からずっとラジオっ子でした。両親がとも働きで家にいないことが多かったので、学校から家に帰ってからは“ラジオを聞きながら宿題します、寝ます”という生活の繰り返しで。と言っても“寂しい”って気持ちにラジオがマッチしたという感覚はあまりなくて、ただ“なんかラジオっていいな”と思っていたんですよね。

――じゃあ、小さい頃からラジオのDJを目指して?

前田 いえ、もともとは看護師さんになりたいなと何となく思っていたんですけど、高校生のときにいつものようにラジオを聞いていて、その日たまたま誕生日で家に誰もいなかったので“一人で過ごしてます”みたいなメッセージを番組に送ったんですよ。そしたら「誕生日おめでとう!」と言ってもらえて、それがめっちゃうれしかったんですね。そこから“私もラジオから届ける側になりたい! 裏方でもいいからラジオ局で働きたい!と考え始めたんです。ラジオ局で働くことについていろいろ調べた結果、高校卒業後は大阪スクールオブミュージックという専門学校に通うことに決めて。

――ご両親は反対されなかったんですか? 看護師とDJだと全く違う職種ですよね?

前田 確かにお母さんに最初「ラジオの専門学校に行きたい」と言ったときは、「なんで突然!」と大反対でしたね。音楽の専門学校って学費も大学並に高いので、母親としてはちゃんと資格の取れる看護学校に行ってほしい気持ちがあったみたいで。ただ、私の父は昔アマチュアバンドでドラムをやっていて、家にドラムセットがあったり、自分の結婚式でも演奏するくらいドラムが好きだったんですけど、結婚して子供3人を育てる中で続けられなくなったみたいで。母も母で大学に行きたかったけど、当時の社会的にも家計的にも大学には行かせてもらえなくて就職した過去があったから“あなたが好きなことを勉強したいなら、やったらいい”と応援してくれて。ただし、“26歳までにちゃんとその職に就けないならやめなさい”という条件付きだったんですけどね。

そこから専門学校のD J&リポーターコースで、発声練習や音楽の歴史を勉強したり、生徒同士でラジオ番組を作ってコミュニティFMで放映してもらうなど、さまざまな授業を受ける中で、裏方以上に、自らの言葉で発信する楽しさに気づき、ラジオDJという職種に惹かれたという前田さん。ですが学校卒業後、実際にDJとしてデビューするまでには数年かかったそうです。

――学校卒業からラジオのDJになるまでのお話を教えてもらえますか?

前田 学生時代にパン屋のアルバイトをしていたんですけど、そこの先輩に“ラジオの仕事がしたい”と話していたら「私の知り合いにラジオ局の人がいて、働ける人を探してたから紹介してあげるよ」と言ってもらえて。それで紹介してもらったのがFM COCOLOのディレクターさんで、探していたのはDJではなくアシスタントディレクターだったんですけど、“ラジオ局で働けるならば!”とADとして1年半ほど働いていましたね。

――最初は裏方でのスタートだったわけですね。

前田 と同時に、専門学校卒業後はセイ プロダクション(テレビ・ラジオのアナウンサー、ラジオDJ、リポーター、MC、スタジアムDJ、ナレーターを専門とする芸能事務所)の研究生制度に応募して、2年くらい事務所のレッスンを受けていて。2007年の7月に正式に事務所へ所属することが決まって、“前田さん、せっか所属も決まったことですしオーディションに行きましょう!と連れて行ってもらった大阪・ABCラジオで、そのまま2008年の4月スタートでラジオ番組のレギュラーが決まり、京都・アルファステーションの番組もほぼ同時に決まったんです。

――レギュラーってそんなにすぐに決まることはないものなんですか?

前田 そうですね。(要確認)

――そもそも番組のオーディションはどういう感じで募集があるんですか?

前田 “こういう番組があって、何歳から何歳までの女性で探してます”みたいな感じで事務所にオファーがあって。そこから事務所内での選抜がマネージャー内で行われるんですね。一つの事務所からオーディションに出せる人数も2人までだったり、5人までだったりで違っているので。

――わりと狭き門なんですね。そもそもラジオのDJさんって月給制でお給料をもらうものなんですか? それとも番組ごとのギャラが決まっているんでしょうか?

前田 DJさんによっていろいろですけど、私の場合は番組ごとにもらっています。1年目のデビューのときはABCラジオが週に1回、アルファステーションが深夜帯で週5日放送があったので、全部で20万ちょいぐらいというか、わりと新卒の社会人ぐらいの手取りはあったんですよね。それまでパン屋の他に居酒屋でもバイトしていたんですけど、デビューが決まった時点で辞めて。ただ、いい感じやと思っていたのも束の間で、ABCラジオの番組が1年で打ち切りになって、アルファステーションの番組も最初は深夜帯だったのが夜7時〜9時に引っ越して、それに伴ってDJを1人から4人に増やすことになり、私は週5日から週1日の担当になって、激的に仕事が減ってしまって。“私、これからどうやって生活していこう……”みたいな感じで衝撃を受けて(苦笑)。それが2009年だったんですけど、マックスに収入が低かったのでパン屋に復帰しつつ、京都・嵯峨にあるトロッコ列車のカメラマンのバイトを見つけたので始めて。

――トロッコ列車に乗っているとカメラマンの方が回ってきて写真撮影されますよね?

前田 それです! 観光客の方を撮影して、この写真をもし気に入ってくださったら販売しているのでいかがですか?みたいなことをやりつつ、ただ冬は寒いからトロッコが休業するので、そのバイトは不安定かなってことでフィットネスクラブのバイトに変えたりして。

――いろいろなバイトと並行しつつ、ラジオのオーディションも受けつつみたいな感じですか?

前田 そうですね。ラジオと同時にテレビの仕事も……山関連の番組とか京都の街中にある飲食店をリポートする番組とかちょこちょこやってたんですけど、私はそれまでテレビを想定したレッスンってほとんどやってこなかったので、現場で失敗することがすごく多かったし、“テレビは私には無理や!”となってからはラジオの仕事に対する楽しさが増して。やっぱり私がやりたいのはラジオだったんやなとあらためて気付いたんですよね。その頃にFM OSAKAで『なんMEGA!』という番組が決まって、そこからはバイトもしなくてもよくなったんですよね。

――“これでDJの仕事でずっとやっていけるな”という確信はその頃にできたんですか?

前田 いや、確信は一度もないですね(笑)。“いつ終わってもしょうがない”と思ってます。

さっき話した通り、デビューから1年後に仕事が激減したときに“あかん。私はここまでかも”と心底思って。そこからいろんな人と仕事をする中で楽しいと思える瞬間や“自分はこういうことが好きだな”と思たり……例えば誰かと会って話をするのがもともと好きなので、インタビューをするのがすごく好きなんですけど、そうやって好きなこととか信頼できる人が周りにちょっとずつ増えてきて“頑張れそうだな”と思って続けてきましたけど、“いつ終わってもおかしくないな”とはいつも思ってるんです。ラジオって春に編成が変わるんですけど、毎年さよならの挨拶は考えてますね。

――それは番組終了のときにリスナーの方に向けてってことですよね?

前田 そうです。「この春で番組を卒業します」や「局を卒業します」の想定はいつもあって、頭の中でリスナーさんになんて感謝の言葉を伝えようとか、最後に流す曲がこれかなとかイメージトレーニングはしていて。用意した言葉はありがたいことに毎年捨てることになっていますし、流したい曲も毎年変わるんですけど。ただ、全然ネガティブな気持ちじゃないんですよ?(笑)

あっけらかんとした笑顔で“いつも終わりの言葉を考えてます”と話す前田さん。何かを始めるとき、それが好きなことだったとしても、やっぱり恐怖心がつきまとうものだと思う。それが不安定な給与だったり、いつ仕事を失うことになるかわからない怖さがあったら、なおさら飛び込めないだろう。でも、前田さんは終わりの挨拶を毎年考えならラジオDJとして走り続けてきた。その原動力は何だったんでしょうか?

前田 “ありがたいなあ”という気持ちでしかないんですよ。いつも“終わるかもと思ったけど終わらなかった”の繰り返しの中で今、ラジオのお仕事を続けさせてもらっていることがすごくありがたい。番組を聞いたリスナーさんから「あの話よかったですね」とか「あのお店行きましたよ」と言ってもらえたり、イベンターの方に「また一緒に仕事やりたいですね」と言ってもらったり、番組を一緒にやってるスポンサーさんに喜んでもらったり、アーティストの方に「また番組に呼んでくださいね」と言われたり。本当にこんなに長くこの仕事を続けられると思ってなかったし、いつ終わってもおかしくないと思っていたのに、本当にありがたいなと。

――なるほど。ちなみに、DJのお仕事で楽しいなと思う瞬間ってどういうときなんですか?

前田 特に生放送でリスナーの方とコミュニテーションが取れたらめっちゃうれしいですね。

――前田さんが最初にラジオの仕事がしたい!と考えるようになったのも、番組のパーソナリティの方にメッセージを読んでもらって「誕生日おめでとう」と言ってもらったことがきっかけですもんね。

前田 そうですね。リスナーの方からのメッセージって、私がDJとしてデビューした年にアルファステーションでやっていた深夜番組の頃ももらっていて。FAXやメールじゃなくて、便箋で届いていたんですけど、“この番組で話してたあの話題がすごくよかった。私はこういう風に思いました”と、しっかり番組を聞き込んで感想をお手紙に書いてくれていたんですね。ただ、その頃は収録番組だったので手紙をもらっても時差があるから紹介できなかったりしたんですけど、今やっている『なんMEGA!』はリアルタイム生放送だからこそ、番組内容に対するリアクションがリアルタイムで返ってくるからやりがいがあったし、ちゃんと届いてるなと思うことも多かったし、うれしかったんですよね。

そもそも“ラジオが好き”とか“音楽が好き”というのもあるんですけど、広い意味で人が好きというのも大きな原動力なんですよ。

――DJのお仕事をされる上で、何か心掛けてきた行動などはあるんですか?

前田 前向きなメッセージを発信することは心掛けてきましたね。私自身、自分の中に嫌なところはたくさんありますけど、マイナスな発言に触れると、そういう雰囲気にどんどん飲み込まれて怖いなと思ってしまうので前向きでいたいなと。ただ、“番組の中で弱音が聞けて、自分の気持ちに寄り添ってもらったようで嬉しかった”というリスナーの方が世の中にいることも知っているので、あまりいいことばかりの発言で埋めようとしなくてもいいのかもとは最近思いますし、弱さを出す勇気もあるとは思うので、そのバランスを今後は考えていきたいなとは思っています。あとDJのお仕事をしてるとき以外も……例えば友達といるときも家族といるときも、自分がどうしたいかよりも周りがどうしたいかを常に大事にして生きてきたんですよね。相手の居心地がよければ、それが私はいちばん幸せを感じるんです。その幸せを私はラジオからもらったので、これからもラジオで返したいなと思っています。

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